柴田 涼平さんの就職成功体験談|田中商事株式会社

年齢:27歳(インタビュー時)  学歴:大卒  勤続年数:2年目

BEFORE

入社3か月で突然、解雇され、頭が真っ白に

AFTER

東証一部上場企業で、誇りとやりがいをもって働く

さまざまな年代の人と関わるボランティア活動で、コミュニケーション能力を培った高校時代

高校で野球部に入部したのですが、2年生になる前の冬にけがをして辞めざるを得なくなってしまいました。

その後は普通の高校生活を満喫しようかな、と考えていたんですが、野球部を辞めた直後に、Jリーグ ベガルタ仙台のボランティア募集のページを見て、興味を持って、一度参加してみたんです。

ボランティアの活動内容は、ホームゲーム運営の手伝いで、具体的には、イベント時の受付や、ビラ配り、試合後のゴミ拾いなどです。

結局このボランティアはその後高校卒業するまでずっと続けました。

僕は当時16歳だったんですけど、ボランティアにはさまざまな年代の人がいて、上は60歳くらいの方も参加してました。

親よりも年上の、45歳くらい年の差がある人達ともいろいろ話したり、コミュニケーションをとったりする機会が多かったのは、僕にとって本当に良い経験になりました。

今のコミュニケーション能力の基礎は、間違いなくここで培われたと思います。

そのまま野球部に所属していたら、経験できないような出会いがたくさんあったので、怪我の功名ですね。

大学入学直前に東日本大震災発生。自分だけ仙台を離れていいのか葛藤した

大学に進学したいと漠然と思ってはいましたが、どこの大学に行けばいいかは、全くわかりませんでした。

父が単身赴任で横浜にいたので、関東での進学も視野に入れて、2年生の夏から関東を中心にいろんな大学を見にいきましたが、決めきれずにいたんです。

最終的には、3年生の時の担任の先生が、真摯に相談に乗ってくれて、「ここはどう?」と、勧めてくれた大学を見学して、僕も良いと思ったので、横浜の私立大学に進学しました。

先生には感謝しても感謝しきれません。

ところが、無事に大学も決まって、心機一転、横浜で頑張ろう!と思っていた矢先の3月11日に、東日本大震災が発生したんです。

友達も何人か被災してましたし、身近に亡くなった方もいました。

僕は、こんな時に母と妹と犬を仙台に残して、自分だけ横浜に行って、のうのうと大学生活を送っていいのか…と、葛藤しました。

いろいろ考えたのですが、「自分が仙台に止まっていても仕方ない」と思ったのと、あと、両親や祖父母、親戚の方たちに「こっちは大丈夫だから、予定通り関東の大学に行きなさい」と背中を押してもらえたので、その大学に進学することを決めました。

日本代表を目指して、ラクロス漬けの大学生活

日本代表を目指して、ラクロス漬けの大学生活

葛藤がありつつ入学した横浜の大学ですが、震災の影響で入学式は中止でした。オリエンテーションなどが始まっても、心の中は「友達できるのかな」とか、孤独感や不安な気持ちでいっぱいでしたね。

そんな中、サークルの新入生勧誘がはじまって、大学で新しいスポーツを始めたいと考えた僕は、ウィンドサーフィンとかラクロスとか、大学から始められるようなスポーツを中心に見に行きました。

いろいろ見た中で最終的に僕が入ることにしたのは、ラクロス部です。

実際に体験してみて面白かったし、ラクロスは、ほとんどの人が大学から始めるスポーツなので、頑張れば今からでも日本代表になれる、やればやっただけ夢に近づける、というところに魅力を感じたんです。

そこからはもう、ラクロス漬けの日々でした。

友達もラクロス部員ばかりで、日本代表を目指してかなり頑張ってました。おかげで2年も留年することになってしまいましたが、後悔はありません。

副主将も経験して、今もずっとラクロスは続けていて、かれこれ9年目です。

大学生活で悔いがあるとしたら、ラクロス部以外でも、友達を作っておけば良かったということくらいですね。

最初の就職は仙台のディーラー

僕が大学5年の時、妹の大学進学を機に、母と妹と犬も横浜にやってきて、久しぶりに家族そろっての生活がはじまりました。

ただ、そうなると、仙台に残してきた祖父母が心配になってきたので、「就職は仙台でしよう」と思い、就活では仙台の会社を中心に受けました。

最初は、どの業界を受けたらよいかわからず、ひたすら受けてたんですけど、一次選考落ちが続いたので、もう一回きちんと自己分析をしようと思って、両親に「小っちゃいとき何が好きだった?」って聞いたんです。

そしたら、「車が好きだったよ」って言われて、「言われてみれば、車は今でも好きだな」と思い、車関係の仕事、そして、人と話すことが好きだったので、メーカーではなくディーラーがいいかな、とそこから自己分析を深めることができました。

それからは、ディーラーをひたすら受けて、2社最終面接まで進みましたが、最初に最終面接を受けた国産車の大手ディーラーから翌日すぐに内定の連絡をいただいたので、即答でその会社に決めました。

今思えば、もう一社のディーラーの最終面接も受けておけばよかったと思います。

「このままここにいても成長できない」と3年目を目前に退職

ディーラーは、車を売ってなんぼの世界なんですが、1、2年目は「車を売る前にまず、ちゃんとお客様に覚えてもらいなさい」っていうのがその店舗のスタンスでした。

ところが、自分からお客様のところに営業に行くのは禁止で、来店してくださったお客様としか会えないんです。

当時、店長のお客様を引き継いで、約700人担当してましたが、実際2年間働いてて会えたのはそのうちの4分の1…、200人もいかないくらいでした。

「残りのお客様はどうするんだ」と思ったりして、そういうことを話せる、仲の良い同期もいたんですけど、彼も僕が辞める半年前に辞めちゃって、会社の不満を話す相手もいなくなって…。

その後はますますやる気がなくなり、ミスも連発して、負のスパイラルに陥りました。

それで、「これはもうだめだ、成長もできないし、辞めちゃえ」と思って、入社2年目の3月、3年目に入る目前で退職したんです。

父の末期がん闘病と転職活動

少し話が前後しますが、実は、僕が退職する前年の8月に、父がすい臓がんだということが発覚したんです。人間ドッグで、すい臓近辺に大きな影があると言われて、大きな病院で再検査して発覚しました。その時にはもう末期で、余命1~2か月と言われて…。

実際は、1~2か月は大丈夫だったのですが、宣告から8か月ほどたった、僕が退職した直後の4月には、かなり病状が悪化してしまって…。

僕は仙台のディーラーを退職後、転職活動は仙台でしていたのですが、仙台で面接とかがある時以外は、基本、父のいる横浜に行って生活してました。そういう生活が2か月ほど続き、父も、余命1~2か月と言われたところから、本当に頑張って、8か月・・・倍以上生きてくれたんですが、その5月に亡くなりました。

再就職先で突然、「明日から来なくていい」と言われ、頭が真っ白に。そんな時、知人の紹介でジェイックと出会う

父が亡くなった翌月の6月に大手水産物卸業者の仙台支店に再就職しました。

ここでは、営業サポートや検品の仕事をしていたのですが、6月に入社して、9月、忘れもしない9月2日に突然、「お前明日から来なくていいから」と言われました。

言われた瞬間は、怒りとか悔しいとかではなく、頭が真っ白になりました。

「頭が真っ白になるってこういう感覚を言うんだな」って思いましたね。

同じ時期に入った中途採用の同期が3人同時期に同じことを言われたので、おそらく業績悪化が原因の人員削減だと思いますが、そうした理由もはっきりとは教えてもらえませんでした。

当時は、その会社の寮に住んでいたので、9月いっぱいで会社の寮を出なければならず、早く次の就職先を見つけなければ、という焦りでいっぱいで、いろんな就職サイトに登録しました。

そんな中、母が、母の友人から「『ジェイック』という就職支援サービスが良いよ」と聞いてきたのが、ジェイックとの出会いです。

カレッジでは、同期のやる気に圧倒されつつも、リーダーシップを発揮

カレッジでは、同期のやる気に圧倒されつつも、リーダーシップを発揮

カレッジで社会人の基礎が学べるということで、僕は社会人3年目でしたけど、ここで一回、社会人生活を改めるというか、初心に返ってきちんと学びなおすのもいいなって思ってカレッジ参加を決めました。

カレッジに参加する前にまず、就職アドバイザーの高岡さんと面談したんですが、すごくパワフルな方で、圧倒されました。圧倒されましたが、安心感もありましたね。

その高岡さんに、「どんどんリーダーシップ取っていってね」と言われたので、カレッジ初日、意気込んで開始10分前くらいに到着して扉をあけたら、もうみんな準備万端で席についてて。

「出遅れた」って思いました。

みんなすごいやる気あるし、初日に出遅れて、正直、「もうリーダーシップ取るなんて無理だ」とも思ったんですが、でもなんだかんだ、ボランティアやラクロス部の副主将をやってた経験が生きて、リーダーシップを発揮することができたと思います。

集団面接会を経て4社から内定。第一志望の東証一部上場企業へ入社

面接はすごく緊張しました。2人1組で面接するんですけど、僕の1日目のペアの子があまり話さない子だったので、その分も「なんとかしなきゃ」って必死でしたね。

でも、結果的に希望した4社全ての個別面接に進み、内定も4社からいただいて、その中で、一番志望度の高かった、田中商事に入社を決めました

入社の決め手は大きく3つですね。

1つは、東証一部上場企業で、事業規模が大きいこと。もう1つは、土日休みなど、条件面が良いこと。そして一番大きかったのは、社訓に共感したことです。

田中商事の社訓は、「変化と創造にチャレンジ」、「有限から無限にチャレンジ」、「未来と栄光にチャレンジ」というもので、「ここなら、仕事を通して成長できるんじゃないか、自分もここでチャレンジしたい!」と感じたんです。

僕は元々、営業職だったので、当初は営業職で再就職しようと考えてましたが、今回、田中商事の募集は「配送」という仕事でした。

でも、電材というのは生活に必要不可欠なもので、今後も需要がなくならない業界だし、そういう業界で、営業とは違う新しい仕事を覚えてみるのもいいかもしれない、ここでチャレンジしよう!と思って入社を決めました。

自分が運んだ商材で、建物がどんどん出来上がっていく

自分が運んだ商材で、建物がどんどん出来上がっていく

田中商事という会社は、一言でいうと「日本の電気資材を背負ってる会社」です。

3000種類10万点の電材を扱っています。電気資材を扱う会社では日本一だと自負しています。

電気資材と言われてもあまりピンとこないかもしれませんが、案外皆さんの身近にたくさんあるんですよ。

例えば屋内だと、照明器具、蛍光灯、換気扇、エアコンとか、屋外だと、電線や電柱だとか、「これも扱ってるんだ」と思うくらいたくさんあります。

僕は今、この会社で、主に配送の仕事をしています。

お客様の会社や現場に、必要な電材資材をスムーズにお届けする仕事です。

それと、前職がディーラーということもあり、車の扱いは得意なので、社用車の管理も任されてます。

自分が運んだ商材で建物がどんどん出来上がっていくところを見た時や、目に見えないところにも使われてるのを知った時、お客様から「頼んだ品物を届けてくれるのがめちゃくちゃ早い!」と褒められた時はすごくやりがいを感じますね。

今は配送という役割ですが、配送の仕事をある程度経験したら、営業に移って、前職の経験も生かして、一人前の営業マンになるのが今後の目標です。

就活生へのメッセージ

今は新型コロナウィルスの影響で、新卒でも内定取り消しだとか、転職中の人も厳しい状況が続いてると思います。

でも、僕が大好きなドラマのセリフに「希望がある限り、絶対にあきらめちゃダメだ」というのがあるんです。

今までの人生を振り返ると、本当にその通りだなって思います。

僕も今までいろんなことがあって、絶望的な状況に陥ったこともありましたが、そんな時でも、動けば動いただけ、少しずつ可能性が開けていきました。

だから、少しでも希望が見えたなら、そこは絶対あきらめないでください。

へこたれずにちょっと頑張ってもらえたら、必ず道は開けると思います。

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