名前:石倉俊弥  年齢:25歳(就職時)  性別:男性

BEFORE

職種:単位不足と公務員試験の失敗で大学8年生

AFTER

職種:営業代行部のチームリーダー

両親ともに教師。中学時代は、習いごと5つ+野球部の多忙な日々

中学時代は、部活は野球部に入りつつ、習字、ピアノ、サッカークラブ、体操教室、学習塾と、5つの習い事を同時にやってました。

両親ともに教師で、「子供にはいろいろやらせよう」という教育家庭だったんです。

僕も素直に従って、平日は友達と自由に遊ぶというよりは、部活や習い事で忙しい毎日でしたね。

 

高校は私立の高校で、部活はサッカー部に入りました。上位の進学校でしたが「勉強は中学で頑張ったからもういいかな」という感じであまりせず、サッカーに没頭していました。

 

教師になるために、教職のとれる大学へ。しかし勉強はほとんどせず…

大学は、親の希望に従って教職のとれる私大に進みました。

僕自身も、子供の頃から、父が教え子から「先生!」と呼ばれる姿をたびたび見ていて、「おやじカッコいいな」「教師も悪くないな」と思ってたんです。

 

…ですが大学に入ると、教職よりもサークルやバイトに夢中になりました。

サークルは、ラグビー経験者と2人でラグビーサークルを立ち上げて、週3回、真面目に練習。

バイトも、コンビニや家庭教師などをガッツリやってました。授業は、1年の前期は真面目に出てましたが、1年の後期はほとんど出ませんでした。

 

ずっと親の監視下にあったことの反動かもしれない

今思うと、中高時代は親の監視下でいろいろ抑えていたのかもしれません。

それが大学に入って親が何も言わなくなると、水を得た魚のように、放流された稚魚のように楽しくなっちゃって…。

髪を染め、免許をとって車で遠くまで遊びにいき…と、授業そっちのけで自由を満喫していました。

 

実家だったので、親は僕が大学に行ってると思っていたようです。でも実際はただ遊んでいるだけで、授業には出ていませんでした。

 

大学2年時はカナダに留学。真面目に勉強した

そんな1年目でしたが、2年の時は、8か月間、カナダに留学しました。

ウチの大学は留学が単位として認められるのと、僕は入学前から「英語が喋れるようになりたい」と思っていたので、留学することにしたんです。

留学中はちゃんと勉強したので、帰国後は英語で行われる授業もだいたいわかるようになりました。

 

3年の初めに留年が確定。4年時は真面目に授業に出る

留学から帰ってきた2年の終わりぐらいは、テンション高めで結構授業に出ていました。

でも1年時の単位不足が響いて、3年の初めに留年が確定します。僕の大学は留年が決まっても進級はするので、5年生までかかることになりました。

留年が確定したものの3年時の授業はあまり出ず、でも4年時の授業はきちんと出て、4年が終わる3月は「4年では卒業できないけど、今年ちゃんと授業に出れば、5年で卒業できる」という状態でした。

 

大学5年生。友達がいなくなってモチベーションが下がり、授業に出ず…

留年したのは僕一人ではなく、仲のいい友達3人も一緒でした。でも、彼らは全員、前期で単位をとりきって、後期には来なくなってしまったんです。

なので後期の授業は僕一人。教室は年下の知らない学生ばかりで、僕は「なんかキャピキャピしやがって」という気持ちになり、授業に行かなくなってしまいました。

 

5年生の年末、親からは

「5年で卒業するって聞いてたけどどうなの?来年卒業できるの? 卒業するなら就活してるの?」

と聞かれました。そのとおりですよね(笑)

 

自分:「就活してないよ」

親 :「なんで?」

自分:「いや、実は、5年での卒業もできなそうなんだよ」

親 :「そうなの?じゃあ6年では必ず卒業しなさい」

自分:「わかったよ」

 

そんな会話をしていました。

 

親には「6年で卒業する」と約束。でも本当は、そんなに本気じゃなかった

親に話す時、ホンネを言うと、僕は「5年で卒業できない」ことをあまり悪く思ってませんでした。

というのも、先に就職した友人から「社会なんてクソだよ」「おまえは学生でいいよな」などと言われていたからです。

それを真に受けて、「そんなに大変なら、まだ学生でいいや」と思ってたんです。そんな自分、今思うとぶん殴りたいですけどね(苦笑)。

だから親に言う時も、「5年での卒業は無理だわ」と軽く伝える感じでした。

 

大学6年生。祖母と一緒に銀行へ。祖母が学費を払う姿を見て「自分はクズだ」と猛省

6年生になる直前、祖母から「今からあんたの学費を払いに行くから、ついて来なさい」と言われ、銀行に一緒に行きました。

両親は仕事で忙しく、そういうのも祖母がやってたんです。

そして、祖母が半年分の学費50万円を取り出して窓口で払う姿を目の当たりにした時に、僕は初めて、「自分は何をやってるんだろう」と痛感します。

 

実は僕は、それまで学費の具体的な金額を知りませんでした。

半年で50万円ということは、1年で100万円。2年留年したら、200万円…。

週に2回ぐらい授業に出れば払う必要のなかったお金を、200万円も親に払わせている。

 

僕のせいで200万円、お金をドブに捨ててるようなものじゃないか・・!

「自分は何をやってるんだろう…」「本当にクズだな…」。情けない気持ちで猛省しました。

 

猛省後、6年での卒業を改めて決意。しかし…

銀行での猛省のあと、「6年で必ず卒業しよう」と決意して、卒業後の仕事のことも考えるようになりました。

教師になるか、他の公務員になるか、民間企業に入るか考えて、教師以外の公務員になろうと思いました。

 

元々は教師になるつもりでしたが、先に教師になった友人から教師の仕事の生々しい話を聞いて、「やっぱりやめておこう」と思ったんです。

教師以外の公務員の中では何がいいか。僕は運動は好きだったので、消防士か警察がいいと思いました。

でも、そう考えたのは6年生の9月頃。その年の公務員試験はもう終わっています。

 

それで僕は

「来年の試験勉強を今から始めて、7年目、来年の公務員試験で勝負しよう」

「6年での卒業にこだわって変に民間就職するより、そっちのほうがいい」

と考えました。卒業してブランク期間を作るのは嫌だったので、7年目も在籍して公務員試験を受けようと思ったんです。

 

6年生の年末から予備校へ。7年生での消防士・警察官試験を見据えて勉強開始

親はもう呆れ返ってました。「何やってんの」みたいな。

ですが、そんな親にさらにお金を出してもらって、僕は6年生の年末から、公務員試験の予備校に通い始めました。

予備校では、翌年5月の試験に向けて真面目に勉強していました。

 

大学7年生。勉強して臨んだ公務員試験、結果は出なかった

7年生の前期は、予備校には真面目に行ってましたが、大学にはあまり行きませんでした。

「前期は公務員試験の勉強に集中して、後期に単位をとろう」

と思ったんです。

 

なのに、公務員試験にはことごとく落ちてしまいました。受けたのは消防士と警察と、いくつかの自治体とか。

 

愛知県警など1次に受かったところもありましたが、2次の面接で落ちてしまって…。

留年期間についての質問にほとんど答えられなかったことが、マイナスに働いたようにも思います。

1つだけ、市のごみ収集みたいな仕事には受かったのですが、「自分のやりたいことじゃない」と思って辞退しました。

 

…結局、卒業後の進路・就職先が決まらないまま7年目後期を迎えました。「警察も消防士も落ちちゃったし、なんだろな・・」と意気消沈です。

 

「就職先ないし、卒業しても意味ねえな・・」

またしても卒業に対する意欲が薄れてしまいました。

民間企業への就職は、この状況でもまだ頭にありません。家族の影響ですね。僕もそうだし、親もそうでした。

 

大学7年生後期。亡くなる直前の祖父に諭され、2度目の猛省

そんなことで、7年目の後期はまた授業にいかなくなりました。

このままだと7年でも卒業は無理…という7年目終わりの1月ぐらいに、入院中の祖父と話す機会がありました。

祖父はもう2年ぐらい入院していて、留年のことも知ってます。

 

祖父「おまえ、先生になるのか」

僕 「ならない」

祖父「何年も留年するとか、いったい何をやってるんだ。教師にならないならならないで、自分の好きな仕事にちゃんとつけ。別に民間企業でもいいじゃないか。こんな状況で、じいちゃんは悲しいぞ・・」

この会話をした3日後に、祖父は亡くなりました。

 

「本当に自分は何をやってるんだ・・!」

祖母の学費の時に続き、2度目の猛省です。

その後は全ての授業に出ましたが、7年目ももう終わりの時期。卒業はできません。

 

大学8年生。公務員試験に受からず、ついに民間就職を決意

大学8年目も一応、公務員試験を受けたのですが、ダメでした。それでようやく、「民間企業に就職しよう」と思い始めたんです。

 

「自分は体を動かすのと喋るのは好き。だから営業が良さそうだ」

「公務員一家の中では特殊な道だけど、そこを自分が切り開こう」

 

そう思って、8年目の夏から民間就活に切り替えました。

親の反応は最悪でした。

 

「今から民間に行ったら、公務員の予備校に行った意味がないし、そもそも教職がとれる大学に行った意味がない。何してんの?」

みたいな。でも最終的には、「好きなことすればいい」と賛成してくれました。

 

自分で1社内定を得るも、興味がわかず辞退。ジェイックに申し込む

大学8年の前期、民間就活に転向して、2社ほど受けました。就職課に紹介された会社と、兄の友達に紹介された会社です。

1つは建築現場の仕事で、1つはソフト開発の営業。建築現場の仕事は受かりましたが、なんかピンと来なくて辞退しました。

大手ナビサイトは、なんか嫌なイメージがあって登録もしませんでした。

 

ジェイックを見つけたのはその頃です。ネットで見つけて、無料と書いてあったのでとりあえず説明会に行ってみようと思いました。

で、説明会で話を聞いて、迷いなく参加することにしました。当時は営業の仕事を紹介してもらえるとのことで、自分にピッタリだと思ったんです。

 

カレッジで一番印象に残っているのは、講師の挫折の話

カレッジで一番印象に残ってるのは、講師の早川さんが甲子園に行けなかった、という話です。

自分も高校の時、サッカーで全国を目指していけなかったので、

「同じ境遇の人が、今、こんなにバリバリとやっている」

って、すごく格好よく見えたんですね。

その早川さんからいろいろ教えてもらって、「自分も早川さんみたいになれたらいいな」と思って講義に参加していました。

 

カレッジ修了後、見事第一希望の会社に内定。両親は泣いて喜んでくれた

カレッジ修了後は4社から内定をもらったのですが、選んだのは、第一希望だった営業コンサル・営業代行の会社です。

この会社を選んだ理由は、「いろんな業界の知識を幅広く身につけることができる」というのが面白そうだと思ったから。僕はモノを作るとかよりも、そういうのに興味があったんですね。

 

就職が決まった時はすごく嬉しかったですよ。第一希望の会社に入れたので、「カレッジで頑張って良かった」と報われた感じがしました。

 

でもそれ以上に思ったのは、「これでやっと親に恩返しができる」ってことです。

「こんなバカ息子を卒業させてくれた親に、今後は親孝行をしていくぞ」という気持ちが強かったですね。

今も家にお金をいれているのですが、今まで無駄遣いをした分は必ず返そうと思っています。

親も、僕の就職を喜んでくれました。父も母も、どちらも泣いて喜んでくれましたね。

「自分のやりたいことなんだね、良かったね。頑張りな」みたいな。

 

今は、営業代行部のチームリーダーとして活躍中

今は、営業代行部のリーダーとして、いろいろな顧客企業のテレアポ代行をするチームをまとめています。

テレアポ代行は一般的には厳しい仕事だと思いますが、僕は好きで選んだので、面白さのほうが大きいですね。

顧客が300社ぐらいあるのでいろいろな知識を得られますし、自分がとったアポから受注が発生した時は、とても嬉しいです。

最近は、メンバー育成のほうがメインなので、自分がテレアポをすることは少なくなりましたけどね。

 

風通しがいいのもウチの良いところだと思います。

先日も、業務効率を上げる勉強会を自主的に開催して、そこで出た案を経営陣に提案したところ、それが通ってシステム投資することになりました。

下の意見を上が聞いてくれると、モチベーションも上がりますよね。

 

目標は、営業代行部全体のリーダーになること

今後の目標は、営業代行部全体をまとめる立場になることと、あと、社内の教育担当 になることです。

プライベートでは、僕はクルマが好きなので、ベンツを買いたいと思って、今、お金を貯めています。

 

こないだも10万のダウンジャケットを買いました。小遣いを使ってもまだ貯金ができるあたりとか、当たり前ですがバイトの給料とは全然違いますよね。

もちろん、親に返す分は、しっかり確保して払っています。

 

最後に、留年を重ねている人へのメッセージ

留年のプロから言わしてもらうと…(笑)

 

就職して思ったのは、留年してるからとか、ここの大学出てるからとか、仕事の上では そんな関係ないということ。

いい大学を出ていても仕事ができない人はいるし、その逆もいる。なので、自分の学歴は、大事は大事ですけど、そんなに気負うことじゃないと思います。

 

あとは、留年したことをマイナスにするんじゃなくて、「あの時には戻りたくない」っていうプラスの気持ちにもっていく、プラスの原動力にするように心掛けるといいと思います。頑張ってください!

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